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電気機器設計の仕事に就いた時のこと|景気には逆らえなく転職を決意

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電気機器設計の仕事を現在もしているのですが、最初に勤めていた会社でのことから現在の会社に転職した時の体験談をご紹介します。

電気機器関係の仕事をしてみたい方、転職に悩んでいる方、色々な人に見ていただきたいので、ぜひチェックしてみて下さい。

バブル時期の電気機器設計の仕事

私が電気機器設計の仕事をしようと思ったきっかけについてお話しします。

光陰矢の如しとは言いますが、本当に時の流れが早くて、この電気機器設計業務を始めたきっかけは、約30年前、私が大学で電気電子工学を学んだ後、就職した会社がH製作所系列会社で、そこで電気機器の開発部門に配属されたのが全ての始まりであり、きっかけになります。

なので、元を正せば、大学で電気電子工学を学んだところが大元のきっかけで、その後の就職で電気機器の開発業務を担当したのが今の今までこの電気機器設計業務をやっている理由になっています。

1社だけで勝負

私は22歳の時、東京のH大学で電気工学を履修して卒業し、私が所属していた高電圧工学研究室の教授の紹介で、H製作所系列会社に就職しました。

よって、就職は何社も受けたわけではなくて、また、実家が自動車部品メーカの子会社に部品を納品する会社経営兼農家の長男だったこともあって、大変お世話になった研究室の教授に相談して、地元のH製作所系列会社を紹介してもらいました。

なので、1社しか面接はしていません。

面接の際に聞かれた内容や面接の様子は、実はその会社にはインターンで会社実習にも行っていました。

 

研究室の先輩方も居て、非常にアットホームな和気あいあいとした雰囲気の中で行われた面接だったので、何社も面接したり、面接のテクニックとか言ったものは全くありませんでした。

最初から、会社の皆さんが待っていてくれる非常に良好な関係でした。

大学の研究室と会社のパイプがあって、良かったのだと思います。

 

長く生きてきた中で今にして思えば、大学と会社とのつながりについては、日本特有の天下りシステムなのだと思いますが、大学や特にどんな研究室を選択するかは、その後の自分の人生を決める大切かつ重要な選択になると思います。

その選択で全てが決まります。

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残業が多くてもやりがいがあり楽しくできる仕事

H製作所系列会社に入社後の仕事内容と大変だったことをお話しします。

私が会社に入社した当時は、完全にバブル経済絶頂期の終焉を迎えようとしていた時でした。

なので、入社当時は非常に景気が良くて、入社3年間は同期の仲間と一緒に独身寮で暮らしましたが、毎日お祭り騒ぎの様なにぎやかさで、残業も普通に100時間ぐらいあり、いきなり手取りで50万円ぐらいもらえていました。

賞与も入社したばかりで多くはなかったですがしっかりもらえていました。

 

車載用電装品メーカーだったこともあり、特に次から次へと自動車メーカや産業機器メーカや業務用機器メーカーや事務機器メーカや農機具メーカなどの取引先からの要求仕様が向上してくるモータやアクチュエータやそれを動かす各種制御機器の開発を寝る間も惜しんで仕事していました。

はっきり言えば、電気機器開発業務は私の大学で学んだ知識を拡大させてくれたし、とにかく楽しくて楽しくてやりがいがありました。

 

働き方改革とか言っている場合ではなくて、好きで好きで働いていたので、若かったことが一番の要因だとは思いますが、何時間働いていても、新しいモノを生み出す時のモチベーションは高く、全く苦になりませんでした。

景気悪化で思い切って転職を決意

給料面と休日面についてお話しします。

私の場合、22歳で大学卒業後、新卒で大学教授と会社の人脈なのか、元々、当時のそういった流れなのか、今となっては形式的に素直に従っただけなのですが、H製作所系列会社入社時は、給料が低く残業が鬼の様にあっても新人でも手取り40~50万ぐらいもらってました。

基本が20万で、残業30万と言った感じでした。

そんな感じなので、休日も表向きは週休2日とか言ってましたが、実際は休日なしでした。

 

しかし、入社3年目ぐらいから景気が悪化して、残業規制や一時帰休や賞与の現物支給なんてのが始めり、段々会社が貧乏になっていきました。

このままでは一緒に沈みそうでヤバいと思い始めたので、10年目で転職を決意したのです。

 

あのまま転職をしていなかったら…

その20年後、その会社は外資に買収されて、従業員は全員一旦解雇され再雇用になったので、ずっとあの会社に居たら今頃、私は50過ぎてから転職することになり、きっと無職になって、生活保護を受給していたと思います。

実際、ずっとその会社に居た先輩は、転職できず無職になって、生活保護者になりました。

32歳で転職した現在勤務している会社が近所にあった同業他社で、どちらかと言うと元々憧れていた大企業でしたので夢が叶い、早期に勇断して正解でした。

 

今の会社は非常に良い環境で、以前の会社と同じ電気機器設計業務を担当しつつ、定年まであと数年ですが会社勤めを継続しています。

こちらの会社は、H製作所系列会社のおよそ1.5倍の給与で有給休暇も取りやすい環境で、週休2日以上は当然で年間150日以上は休んでいます。

 

給与も上がって休日も増えて、改めて会社によって全然待遇は違うことが良く分かりました。

やっぱり会社は大きい方が明らかに良いです。

 

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人生何が起こるかわからない

私の職業である「電気機器設計」業務の体験談を絡めて記載しますと、我が人生の転機となった最初の22歳で新卒時の就職および32歳で転職時の再就職活動、そして50歳過ぎた今の自分のことを簡単にまとめた形で記載したいと思います。

最初の22歳の時の新卒就職は完全に流れでした。

まだ社会と言うものがよくわからなかったのです。

 

なので、当時の研究室の教授と大学の先輩方を頼って就職しました。あれはあれで正解でした。

でも、その時の唯一の失敗は、地元にこだわってしまった会社選択だったことと今でも後悔しています。

それで中途半端な規模の会社に就職してしまいました。

 

その後、会社のリストラを見て、32歳で転職した際の経験、および50歳過ぎた現在までたまたま電気機器設計と言うずっと同じ天職を続けられている有難い環境にありますが、本来であれば、50歳と言えば管理職になっています。

そうさせてもらえなかった思いつく限りの理由が、エンジニアの中途採用で、管理職として採用されなかったからでした。

 

日本の古くからある社会システムは、どんなに体裁として、年功序列や終身雇用が変わったと言っても、その体制で採用された人たちが今もなお上層部にいる以上、そう簡単に昔からあるシステムは変わりません。

つまり、最初から大きな組織に就職して、そこでどんどん出世して行くのが一番理想的な人生なのです。

日本は、そういう国なのです。

 

そして、東大や官僚を始めとしたこの日本の社会ピラミッド組織においては、天下り方式が根付いているので、如何に権限の強い組織に入るかが、その後の人生を向上させるキーになります。

ちょっと夢のない話をしてしまいましたが、50年以上日本で生きてきて、これが我が国である日本の実態だと実感しています。

それが嫌なら、まさに私の先代まではそうであったように、自分で会社を経営するしかありません。

サラリーマンである以上、最初から少しでも権限のある大きな組織に入ることをお勧めします。

大きな組織の方が、給与も休日も多いので絶対環境が良いです。これは経験上、間違いありません。

 

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