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私が製造業に興味を持つようになったのは、祖父の影響が大きかったです。
営業職として製造会社に入社し、今もその分野で働いています。
製造業の魅力を深く理解できたこと、そして職場環境が素晴らしかったおかげで、今でも楽しく仕事を続けられています。
夢を追い続け、努力を惜しまないことが何よりも重要です。
目次
祖父の影響で志した製造業の仕事
製造業に携わることを目指し、総合電機メーカーに入社して多様な職種を経験してきました。
私が製造業に興味を持つようになったのは、祖父の影響が大きいと感じています。
祖父は自宅に離れを持ちながら、一人で鉄工所を経営していました。
下請けの下請けという立場でしたが、私の記憶の中には、従業員を3人ほど抱え、ものづくりの素晴らしさを教えてくれた祖父の姿が鮮明に残っています。
自宅で竹馬を作ってくれたり、自ら設計した駒を私に使わせてくれたりと、心温まる思い出がたくさんあります。
また、祖父が自分が作った部品が大きな船の動力源になっていることを誇らしげに話したり、自動車の部品のどの部分を自分が手がけているのかを楽しそうに語る姿は、今でも私の心に残っています。
私自身はエンジニアとしての適性はなかったものの、幼い頃の祖父との会話を通じて、さまざまな形でものづくりに関わりたいという思いが芽生えました。
大学時代や就職活動を通じて、建物や大規模なまちづくり、さらには商品の開発にどのように関わるかを真剣に考えるようになりました。
これが私が製造業を目指すようになった根本的な理由です。
私の祖父が亡くなったのは高校受験の時期でしたが、彼の遺産として竹馬やコマなど、さまざまな思い出の品が実家に残っています。
今年で47歳になる私ですが、これらの品々を捨てることができず、一生持ち続けるのではないかと感じています。
それほどまでに、祖父の影響は私の人生に深く刻まれています。
就業感についても、同様の影響を受けていると強く感じています。
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アルバイト体験を活かした面接内容
私が就職した総合電機メーカーとの出会いは、まさに運命的なものでした。
大学時代の4年間は、体育会系の活動に没頭し、勉強を後回しにして部活動やアルバイトに力を入れていました。
シーズンオフにはアルバイトをしていましたが、その中でも特に印象に残っているのが、最終的に就職先となった総合電機メーカーの工場での経験です。
正社員、派遣社員、アルバイトの全ての人々が一体感を持って働いており、朝のミーティングでは活発に意見を交わし、夕方には反省点を共有する文化が根付いていました。
また、工場内には経営理念を掲示した場所が多く、常にその意識が浸透していることを感じました。
休憩時間には、正社員の方々が経営理念やものづくりについて熱心に話し合っている姿を見て、彼らの真摯な姿勢に感銘を受けました。
製造業を志していた私にとって、この環境では多様な商品に関わりながら、営業や商品企画の立場でグローバルにものづくりに貢献できると確信しました。
この経験は、面談の際にも大いに役立ちました。
面接で聞かれたこと
最初に尋ねられたのは、当社の経営理念についてでした。
インターネットで得た情報だけではなく、自分自身の体験を交えて話すことで、その内容に深みが加わったと感じています。
入社後にどのような活動を行いたいかという質問がありました。
私自身、特定の商品を選ぶことはありませんでしたが、社会に貢献できる商品やソリューション、大規模なまちづくりに関わるプロジェクトに参加し、企業のブランドイメージを向上させる活動を推進したいと率直にお答えしました。
面談は3回行われましたが、いずれも似たような質問があり、その中で私の人柄についても尋ねられました。
個人的には、圧迫感のある面談ではなく、私が本当にこの会社に適しているかどうかを見極めるための対話だったと感じています。
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私が担当した営業の仕事内容
入社して最初に取り組んだのは、通信キャリア向けの営業でした。
インフラ関連の商材も扱いましたが、特に当時好調だった移動体通信のOEM営業に力を入れていました。
一人で全てをこなすのは非常に難しく、企業間の連携が求められる点が大きな特徴です。
自分の担当分野はあるものの、視野を広げて会社として何ができるか、OEM先にどのように貢献できる商品を提供できるかを探ることがとても魅力的でした。
その一方で、自分の力の限界を感じることもありました。
特に印象的だったのは、移動体通信の製品が最終的にエンドユーザーに届くという点です。
日常生活の中で自分が関わった商品が使われているという実感があり、仕様やデザインに対する自分の意見が反映されていると感じると、非常に嬉しく思いました。
最初に関わった商材や取引先は、今振り返っても私に大きな影響を与えています。
その後のキャリアも商品企画やブランド部門に進む中で、最初の仕事がすべての基盤となっていると実感しています。
営業職の大変だったこと
最初の仕事で最も苦労したのは、ビジネスマナーを習得することだったかもしれません。
飛び込み営業ではなく、むしろ整然としたビジネスの環境だったため、洗練された立ち居振る舞いから、実践的なスキルまで幅広く学ぶことができました。
もちろん、自分自身で学んだことも多いですが、日常業務を通じてこれだけのスキルを身につけられたのは非常に有意義だったと感じています。
この経験が、今の私の基盤を築く重要な時期だったと思います。
自分の目指していた職業に就くことが一番
製造業に関わることができたことは、私にとって非常に幸運な経験です。
これは私の元々の夢でもありました。
営業から始まり、商品企画を経て、現在はブランド部門に所属していますが、根底にあるのは、製品を通じて多くの人々に便利さや喜びを提供するという思いです。
この信念は、どの職種においても変わることはありません。
私がこの業界に入ってから20年以上が経ち、日本の製造業が衰退しているといった声も聞かれますが、私はそうは思いません。
日本独自の発想を活かした製造は、今後も世界でリーダーシップを発揮できると信じています。
私たちの会社も、日本の技術を世界に広めることに誇りを持っています。
これからも、どの職種にいても日本の製造業がどのように輝くかを考え続け、世界にその素晴らしさを伝えることが重要だと感じています。
これは日本の製造業全体に当てはまることであり、素晴らしい製品を通じてその魅力を再発見し、世界での存在感を高める大きなきっかけになると信じています。
製造会社の給料面や休日面は?
入社当初は年功序列が色濃く残っていると感じましたが、今ではそのようなことは全くありません。
男女差別や学閥も存在せず、平等な環境が整っています。
工場を運営していることも影響していますが、週休2日制やお盆、ゴールデンウィーク、年末年始の休暇がしっかりと確保されている点は素晴らしいと思います。
年次休暇については、全員が推進目標を達成できているとは言えませんが、給与水準は製造業の中でも非常に高いと自負しています。
賞与についても、業績が厳しい時期でも生活を支えるための配慮があるのは本当にありがたいことです。
人気がイマイチな製造業
日本の製造業は、さまざまな業界においてあまり評価されていないのが現状です。
その背景には、業績の低迷や将来性の不安があると一般的に言われています。
しかし、私はそうは思いません。
製造業は、どの時代においても必ず必要とされる存在だからです。
確かに、世界全体での縮小傾向は考えられますが、単品商品からソリューション商品に至るまで、製造業がなければ社会は成り立ちません。
重要なのは、どのように付加価値を創出できるか、そしてその付加価値を生み出す人材がどのような存在であるかを自ら考え、製造業に貢献することだと私は強く感じています。