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物流会社での経験についてお話しします。
面接の様子や入社後の研修、日々の業務、苦労したことや嬉しかったエピソード、仕事のメリット・デメリット、そして私がこの職を辞めた理由などを詳しく紹介していますので、興味がある方はぜひご覧ください。
目次
物流会社での3回の面接
私は以前、都内にいくつかの店舗を持つ物流会社で働いていました。
特に「この会社に絶対入りたい!」という強い気持ちはなかったのですが、唯一採用通知をもらったこの会社は知名度があったため、何となく入社を決めました。
採用プロセスでは、書類選考を通過した後に合計3回の面接がありました。
最初は面接官5人と志望者5人によるグループ面接、その後、面接官3人と志望者1人の個別面接が行われました。
この面接では「君はウチには合わないね」「それは他の会社でもいいんじゃない?」といった圧迫感のある質問がありました。
そして最後に、役員1人と志望者1人の個人面接が行われました。
面接で聞かれたこと
- この会社で何がしたくて、何ができるか
- 学生時代に経験したこと
- 他の会社ではなくてこの会社でなければならない理由
面接では主にそのようなことが尋ねられました。
面接の際には、第一印象を重視し、清潔感や明るさに特に気を配りました。
言葉を噛んでしまうことについてはあまり気にせず、たとえ噛んでも明るく元気に返答することを心がけていました。
私の場合、幸運にも最終面接の場で採用の通知をいただくことができました。
物流会社に入社後の研修・配属先
内定式の後に配属先が決まり、入社後すぐに配属先に関係な都営センターのようなところに通いで研修をしました。
主な研修内容
- その会社の歴史、社訓、それまでの営業結果などの座学
- 配達出発前の配達物の振り分けを実践形式で練習
- バイク便での配達、車での配達の時の注意事項の実践
研修後は配属先で早速勤務を開始しました。
入社3ヶ月は試用期間でした。
私は第一候補の会社ではなかったものの、やるからには結果を出そうと一生懸命に取り組みました。
配達作業は体を使う仕事なので、朝8時の始業時には全員で体操を行いました。
その後、各チームに分かれてエリアごとの配達物を取りに行きます。
配達順に並べ替えた後、バイクや車に積み込みます。
午前中は午前分、午後は午後分をそれぞれ準備し、昼には一度戻ってくるという流れです。
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この仕事の大変なこと・嬉しかったこと
この会社の見学に行く際には、「迷わずにしっかりと配達できる準備」に注目していただけると嬉しいです。
また、その日に配達するものは必ずその日のうちに配り終えなければならないため、たとえ終業時間の17時を過ぎても、仕事が終わるまでは残業となります。
特に、休み明けの月曜日や大型連休明けには、1日2時間の残業が普通でした。
外での仕事なので、夏は気温が30度を超え、冬は0度近くなるため、特に厳しい時期でした。
毎日配達をすることで、その地域の区画や番地の配置をよく理解できるようになりました。
そのおかげで、プライベートで遊びに行くときや初めて訪れる場所でも迷うことが少なくなりました。
さらに、毎日同じルートを通って配達をしているので、その地域の方々とも顔なじみになり、「お疲れ様」や「ありがとう」と声をかけてもらえるのがとても嬉しいです。
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物流会社のメリット・デメリット
メリット
給与についてですが、特別悪いわけではなく、大学を卒業した新卒者の平均的な水準だったと思います。
初任給は18万円で、保険料などが引かれた後の手取りは約16万円でした。
福利厚生や年に2回のボーナス、労働組合の存在もあり、旅行チケットが割引で購入できるなど、給与以外にも多くのメリットがありました。
育児休暇など、職員が働きやすい環境も整っていました。
ただ、私は結局2年でこの会社を辞めることになりました。
デメリット
年功序列が非常に厳しく、「上司は神様で、新人は奴隷」というような風潮がありました。
例えば、配達量が多い日になると、先輩や上司が私の配達エリアにわざわざ来て、「これもお願い」と先輩たちの残った配達物を全て押し付けて、さっさと定時で帰ってしまうことがありました。
その結果、私は押し付けられた分も含めて、忙しい日には4時間も残業して配達を続けることになりました。
さらに、一生懸命に営業を取ってきても、その成果は「指導者の教えが素晴らしいから」という理由で先輩の手柄になってしまいました。
上司がバイクで人身事故を起こした際、私はその始末書を書くことを強いられました。
拒否したり意見を述べると「生意気な新人」と言われ、減給されることもありました。
「部下の成果は上司のもの、上司の責任は部下の責任が我が社の方針だから」と言われたことから、「私は感情を捨ててロボットのようになろう」と考えるようになったこともありました。
そんな厳しい上下関係の中で働いていた私は、胃潰瘍や円形脱毛、不眠症といった身体的な症状が現れ始め、医師から「このままではもっと深刻な事態になる」と警告され、退職を勧められた結果、退職することになりました。