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専門学校の講師として働いていた時のこと。
授業はもちろんのこと、担任業務もしていたので生徒への指導や相談に乗ることも多かったです。
面接から退職までのことをご紹介していますので、ぜひご覧下さい。
専門学校講師になろうと思った理由
私は以前、ある専門学校で講師として働いていたことがあります。
その直前に私は主人の仕事の転勤で、今までに行ったことが無い地域に引っ越したばかりでした。
ですからそれまで就いていた仕事を辞めていましたので、引っ越し先で別の仕事に就くために、求人情報誌などで情報を集めていました。
そしてある求人情報誌に派遣会社が出している求人がいくつか掲載されていて、その一つだった「専門学校の講師」という求人に惹かれて、その派遣会社に連絡を入れてみました。
そして熱心な担当者の方が、私が当時住んでいた家のすぐ近くまで来て仕事の説明をしてくれ、良さそうな所だと思いその専門学校へ面接に行くことにしました。
専門学校講師の面接、仕事内容
面接はその専門学校の校長と部長によって行われたのですが、私の経歴や持っていた資格について話をしたり、やる気について聞かれましたので、「今までの経験を生かして学生たちのために頑張りたい」と伝えたところ、無事に合格することが出来ました。
そしてその数日後から、私はその専門学校で働き始めることに。
まだその時は春休み中で学生達はいなかったので、学校内のルールや設備の使い方などを教えてもらったりしました。
そして春休みが終わってからは、すでに1年前からその専門学校に通っている学生たちへの授業を始めたり、新しく入ってきた新入生たちのオリエンテーションなどを担当。
仕事の内容は学生たちへの授業だけではなく、担当の学生たちの担任の仕事もすることに。
担任の仕事内容
- 学生たちの出席の管理
- 就職に向けての指導
- 学生たちの親御さんたちとのやりとり
- 卒業に向けての指導 など
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専門学校講師の大変なこと
それから学生たちに就職が有利になるための資格を取得してもらうために、いくつかのクラスを担当し、毎日授業を行いました。
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専門学校講師の大変なこと
- 1年生、2年生の様々なレベルの授業を行わないといけない
- 自分自身もまだ持っていない国家資格の授業もしなければいけない
- 仕事が終わって帰宅してからの次の日の授業の準備
- 生徒に教える資格の内容を理解するための自分自身の勉強
この仕事の大変さは学生たちへの指導が難しい点です。
まだまだ思春期の学生たちは、私のいうことをなかなか聞いてくれないこともよくありました。
でも学生たちのことを思うと、時には厳しく指導しなければいけないこともありましたし、良い就職先に就いてほしいという思いから、出来るだけ熱心に学生たちとの交流をするようにしました。
でも学生たちと仲良くなると、私のことを慕ってくれる学生たちもたくさん居て、色々と相談してくれることも多くなり、学生たちとの交流は大変なことが多い反面、楽しいことも多くありました。
そして学生たちが成長していく姿を見れるのは嬉しいことでしたし、その成長を手助けできるのはやりがいを感じるものです。
ですのでそんな可愛い学生たちが卒業する際には悲しくて涙を流したことも何度もあります。
そして学生たちから感謝の気持ちを込めたメッセージカードやアルバムをもらうことも多くて、そんな時にはこの仕事をやって良かったと思う瞬間でした。
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専門学校講師の給料・待遇
ただ私が働いていた専門学校は小さい学校だったこともあって、給料や待遇はぜんぜん良くなく、基本の給料は低かった上に残業代も全然付きませんでした。
また授業が毎日あるので、休みもほとんど取ることができなかったです。
やりがいがあって学生たちとの交流は楽しくて良い仕事だとは思いますが、この待遇の悪さに納得が出来なくなって、私は学生たちが卒業した3月にその仕事を辞めることを決意しました。
でも辞めた後にも学生たちとの交流は続いていて、結婚式に呼ばれたりしています。
苦労も多かったですが、とても思い出深い仕事でしたし、自分自身も成長することが出来ました。